ぐらにん。のひとりがたり

読書などの感想・記録をしてます~

『銀河鉄道の父』

これは宮沢賢治を断片的にしか知らないでいた私が『銀河鉄道の父』を読んだ感想だ。


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少し前に直木賞受賞作として耳にした方も多かろう。宮沢賢治の父・政次郎が主人公の物語だ。

 

ページ数が多く見えるがおもしろくてとんとん読み進めてしまうので、ぜひ読んでほしい。

何より、なんだか宮沢家が身近に思えてくるから。

 

 

ここからはネタバレ込みの感想にする。結構長くなる。

 

 

まず、父・政次郎の日常がありありと浮かぶ。

テンポのよい文章で少々滑稽なほどに見える父の姿を描き出している。文体は例えるなら落語に近いので、とても読みやすい。

政次郎の父・喜助の「お前は、父でありすぎる」が、作中で描かれる政次郎を端的に表している。この当時の時代背景がくっきり見えるように書かれているゆえ政次郎の父のあり方が異彩を放って見えるが、これは現代で見かけられる父親の姿なのかなと思った。父になったことがないから実際のところはわからないけれども。

また、父親の目線があまりにもリアルだったので、「これは筆者ご自身の体験に基づくところもあるのかな」と思ったら案の定そうらしい。だからこんなに実感を伴う言動に見えるのかなと思う。

 

賢治のような子をもつ親はさぞ大変だろうとは思う。だが賢治の描写が生々しいというか、いかにも父に向かってくる息子が目の前にいるように見えるので、苦悩する父の心境を我がことのように読んでしまえるのだろう。

これは賢治を「ただ親のすねを齧り続けるわがままな変人息子」と描写せずに、血の通った感触のある描写にしていることが大きい。賢治は不器用ゆえに奇妙に見えるほどの迷走をしていたのだろうと思わせる。そんな息子をやっぱり見放せない自分にも苦悩するから、この親子がいとおしく思えるのだ。

 

賢治自身の視点の部分はほんの僅かだ。だからこそ、その部分が鮮明にずばっと印象づける。彼が雷に打たれたように原稿用紙を買うところからの疾走感が、その前までの悩むシーンの重さとの対照でとてもわくわくさせる。彼がなんで童話を書いていたのか振り返るシーンは、幼少期からの賢治をそれまで読んできたから納得できるのだ。緻密な構造だ。

 

妹トシと賢治の関係は、やはり賢治を語る上で欠かせないだろう。この作品でも色濃く存在感を発揮しているし、トシに関わるエピソードを通して、政次郎と賢治は親子だなぁと思うからおもしろい。

トシに触れては、『永訣の朝』を読んだ政次郎が「やられた」と思うシーンがとても印象的だった。あれは父として賢治とトシを見てきたからこそ出てくる感想に違いない、と思わされた。

 

さらに、賢治の人生を考えれば当然病床のシーンが多くなるわけだが、なぜだろう、病床ほど生を感じるものなのだなと思った。どの病気の時のシーンでもかえって生の気配を手にとるように感じるのだ。

その中で心に残ったフレーズが、政次郎が賢治に言うこの台詞

「人間は寝ながらでも前が向ける」

 

最後の方で、政次郎が『雨ニモマケズ』を語るシーンで、「そういう解釈ができるのか!」と驚かされた。もしかしたら、政次郎のレンズを通したから出せる解釈なのかもしれない。

 

さて、読後の余韻にひたった後で、改めて解説を読んで驚いた。

 

現実には政次郎の記録がほとんどない……!?

その中からこんなにいきいきとした政次郎を描いたのかと思うと、筆者の実力を感じて舌を巻いた。

 

まあこんなふうにそれらしく書いてみたが、解説を読んで改めてこの作品のすごさを知ったから、どこがどう良いのかを書けているにすぎない。賢治についてなんとなくしか知らない私が読むと「へぇー、そうなんだー」と気持ちよく読んで、小説であることを忘れて伝記として読みそうになってしまう。ややその面もあるが、政次郎の記述がまさか実際にはほとんどないとは思い至らないまま読まされたのが、本当に驚きで仕方ない。

 

 

個人的には、以前私が高校生の時に、賢治の『無声慟哭』の『鳥のように 栗鼠のように』を読んで、『ターペンティンの匂いがするだろう』がどういう意味なのかよくわからなかったのだが、この本を読んでちょっとわかった気がした。

 

賢治の著作は好んで読んでいる気でいたが、まだまだ読めていない作品があったなぁとも思ったし、ますます興味を持った。また、以前読み親しんだ作品も新たな視点で楽しめるだろう。