お久しぶりです。ぐらにん。です。
ここに書く機会が少なくなっていました。
「ちゃんとまとめられた読みやすい文章を書かなきゃ」と強迫観念に駆られていたからです。
とかく私は強迫観念に駆られやすい人間で、なんでも「ちゃんとできなきゃ」と思って突っ走る性格ゆえに、よく壁にぶち当たっては立ち直れない、を繰り返してきました。
また、「向上心」と言えば綺麗ですが、とても自己肯定感が低いどころか無意識に下げにいくくらいなので、「今の自分よりもマシな自分になれないものか」といつも思っています。
そういった性格から自己嫌悪ループを極めることが時々あります。
そんなループにまたもはまった先日、親友に他己分析を頼まれました。ただこの場合は『類は友を呼ぶ』の典型でして、結果的に自己分析の機会にもなりました。
それ以来、自己分析を個人的に続ける中で、一番難しいテーマは「自分に向いていること・得意なこと」と感じました。
様々な分野で優れた人が周りに多く、変に劣等感を抱いている私には、自分に自信を持てることがずっとわからないまま生きてきたように思えました。「好きで続けていること」とは違うと思うからこそなかなか見つけられない。例えば、理科が好きだと思って理系に進んだのにバイト先は文系の仕事を選んでいました。
得意なことを見つけられないなりに捻出しようとし、そろそろ脳が絞りきった雑巾のようになった頃、到達した結論は『文章表現、とりわけ分析や論理を伴ったもの』でした。
実は数年前までは全く眼中にありませんでした。
風向きが変わったのは、好きなラジオ配信番組の生放送で自分の書いたメール文が採用されたことです。
この日は発売されたばかりの番組テーマソングの感想を募集していたので、「採用されなくても『素敵な歌を届けてくださってありがとう』と届けば」と書いたはずでした。
それが採用され、歌った方々(推し)や歌を作った方々に直接届き、喜んでいただけたのはすごく嬉しかったです。ただ、読まれないと思ってテキトーな格好で生放送を観ていた自分に後悔はしました(途中から正座しました)
このように感謝を言葉にするようになった経緯は割愛しますが、そのきっかけをくれたのはこの時にメールを読んでくださった推しの方でした。
この採用を機に以前より言語化を意識するようにすると、同番組のイベントや、アニメの広告にメッセージが採用され、客観的評価を得ることで漸く「自信を持ってもいいかもしれない」と思えました。推しのおかげです。
そこで本記事のタイトルです。
こうして現在、まずはより語彙力を増やそうと本や電子辞書と戯れているのですが、やはりアウトプットがないことには改善箇所も見つからないと思い、久々に投稿しました。
ステイホームで会話の機会もより少なくなり、考えたことを頭に抱えやすい状態なので、公開できる範囲のことはここに書いていこうと思います。
また近いうちに投稿します。
それでは。