ぐらにん。のひとりがたり

読書などの感想・記録をしてます~

歌を気軽に歌えなくなってから

お題「#この1年の変化」

何を書こうかなと思いながらずっと書けずにいました。

そんな中で3月になり、卒業シーズンだったりして、NHK全国学校音楽コンクール(通称 Nコン。全国的な合唱コンクールの一つ)の課題曲を聴く機会が最近多かったのです。

先日にアンジェラ・アキ『手紙』をミュージックステーションで久々に聴いて、なぜかわからないけれどうるっとしてしまったんです。

その『なぜかわからないけれど』がわかったのが数日後のうたコンでの森山直太朗『虹』の合唱との生演奏の披露。

私はただただ泣いていました。 まさかピアノの前奏から泣くなんて。

そして、わかったのです。 『合唱や歌が日常的にできた日々を思い出して、寂しさに涙が出たのだ』と。

Nコンは私も何度か出ていましたけれど、後に諸事情で自分から合唱から離れました。しばらく避けていた時期もありました。

でも、コロナの国内流行の初頭になんとか行われた母校の合唱部の発表会(定期演奏会は諦めて短時間小規模なもの)に行って、「ああ、合唱っていいな」って痛感したのです。 ※幸いこの時は換気したりでクラスターが起きずに済みました。

そうしてコロナがどんどん流行して、鼻歌もままならず、散々行ってたひとりカラオケも自粛。演奏会もライブも何も行かずに過ごしていました。配信ライブは観たけれど。

よく『失ってからその大切さに気づく』って言うけれど、こんな形で感じるとは。 歌を取り上げられて初めて気づくとは。 私は、歌が、合唱が好きなんだ、と。

あとどれくらいかかるかわからないけれど、何年経っても難しいかもしれないけれど、いつか、気兼ねなく歌える日が来たら、また合唱したいなって、思ってしまいました。

3密は避けられないし、飛沫だし、マスクじゃ言葉も立たないし表情での表現もできない。 一緒に歌ってきた友は「合唱は一番最後に許される」って言っていたのは、とてもそう思って仕方ない。 けれど、それでもまた合唱がおもいっきりできる日が来てほしいと思わずにはいられない。そう気づきました。

さすがに、医療現場が逼迫しなくなって、人々の生活の不安定さがなくなっていくことの方がずっと大事だと私もわかってはいるので(私も他人事じゃないし)、その上で、という条件付きでの願望です。 私だって先行きの不安要素が増えてとても歌うどころじゃなくなってしまっています… 生活の希望が一気になくなった気がして、どうしようかと思う毎日です。

でも、コロナで会う機会も奪われたために、かつて一緒に歌ってきた仲間と連絡が増えたのもあって、歌える日を願う気持ちが高まってしまった。

これは、1日1日をなんとか生き延びてみないと、後悔するかもしれないな、と。

そうしてたどり着いた結論は、 希望を無理にでも持てなかったとしても、願望なら持てるかもな、と。

願望のためになら、今日を進めるかもしれないな、と。 それでいいかもしれない、と。

長くなりましたが、そんなことを衝動的に思ったので書いていました。